キツい割に給料安い介護職

キツい割に給料安い介護職

私が働いたのは20歳の時でした。資格がなくても正社員で働けるという求人に惹かれて応募しました。結果はその場で内定。正社員でしたが、なぜか時給制でした。しかも900円と、その辺のアルバイトと変わらない時給でした。この時からすでに「あれ?」と思っていました。

配属は家から近い老人ホーム。出来たばかりのキレイな施設でした。1日の計画表が決まっており、その通りに各部屋を訪問するという感じでした。若かった私は職員さんたちから可愛がられましたが、ベテラン職員さんたち同士はとても仲が悪かったです。いつも睨み合って悪口を言い合っていました。女ばかりだったせいか、ギスギスしていました。私はそれもストレスでした。

1番嫌だったのは、先輩たちが明らかに面倒な入居者さんたちの相手を私たち新人に押し付けていたことです。
ナースコールのようなものがあるのですが、面倒な入居者さんからのコールは「あんた行きなさいよ」オーラを出されました。下っ端なので行くしかありません。計画表の訪問でキッツキツでも先輩たちは変わってくれません。「これで時給900円か」と思うと嫌な気持ちがどんどん募って行きました。

入居者さんたちは若い私を可愛がってくれました。そこは嬉しかったです。しかし、「若いうちにこんな仕事しないで、別の仕事しなさい。」と色んな入居者さんに言われました。「確かに正社員なのに時給だし、今やる仕事ではないのかな。」と思い始めるようになりました。入居者さんのこの言葉が辞める一番のきっかけになったように思います。

普通のOLにはなりたくないと思っていた私。介護職をやっている時、ふと見上げたビルではOLさんがオフィスで働く姿が見えました。それがとても輝いて見えて、「私、OLになった方がいいかも」と思いました。初めての就職で、辞めていいのか悩みましたが、「若いうちにやる仕事じゃない」という入居者さんの言葉が離れません。最後の方は毎日悩みながら仕事をしていました。

誰にも相談することなく、施設長に直接「辞めたい」と伝えました。
相談して引き止められたら揺らぎそうだったので、1人悩んで決めました。施設長はがっかりしていましたが、私はもう限界でした。

1人ではとても抱えられない大きなおじいさんをお風呂に入れる。先輩は面倒だったので私に押し付けたのでしょう。入れ方もわからない私はゆっくりゆっくりと怪我をさせないように全身を使って入れました。「誰も教えてはくれない。助けてはくれない。」そんなところでした。補助具?のようなもので入れることができることは後で知りました。

時給900円でこんなことやってられない!先輩たちは固定給なのに!そんな思いで毎日過ごしました

若かったので辞める決断も割と早く出来ました。次は見つかってなかったけど、まだ実家住まいだったので辞めても困らないし。

今思い返してもとてもキツイ仕事でした。生半可な気持ちでできる仕事ではありません。介護職の人たちのお給料がもっと上がるといいのにな。と思います。
そんな色んな要因が重なって私は介護職を辞めてOLになりました。

介護現場の現実とは

介護現場の現実とは

引越しを機に、以前いた職場から別の介護施設へ転職した時のことです。以前の職場では考えられないことの連続で退職を考えたことがありました。

まず最初に衝撃だったのが、職員が利用者様のことをあだ名で呼んだり呼び捨てにしたり、おじいちゃん・おばあちゃんと呼んでおり、それを誰も注意しないどころか笑っている様子を見た時です。信頼関係のできている高齢者の方に親しみを込めて苗字以外の呼び方をすることはありましたが、今まで働いてきた現場では、利用者様は自分より年上であり尊重すべき存在であると教えられていた為、基本的には苗字に「さん」をつけて呼ぶことが当然でした。

また、介護度の高い利用者様が多く、ADLの介助は確かに大変なことが多い現場だったのですが、体位変換がきちんと行われていなかったり、オムツ交換の回数を減らすために必要のない方にまでとても大きなオムツをあてたり、トイレ誘導をしないなどの介護体制が平然と行われていました。

汚れたオムツを長時間つけていることで陰部や臀部がただれたり、ひどい時は剥離し褥瘡が形成されてしまったりという環境でした。しかし皮膚トラブルが起これば看護師に報告し薬を使って治してもらえば良いという考えのようで、皮膚状態が改善してもまたトラブルを繰り返すことも多々ありました。

私は新人の時に、「褥瘡形成は介護の恥だ」と教えられていたので一生懸命介護をしていたのですが、私1人の力では限界があり、上司にも介護の向上の為の研修などをしてもらいたいと依頼したのですが実現されませんでした。私の介護スキルも人に教えられるまでのものではなく困っていました。

そして、私が仕事を辞めようと思った1番の原因は、認知症の方に対する関わり方の酷さでした。
徘徊をされる女性がいたのですが、転倒されると困るからという理由で声もかけずにいきなり腕をつかみ制止し、椅子に座らせたり、その女性が転倒された時には「もう、何転んでるのよ。私の仕事が増えるじゃん。」と暴言をはいたりしていました。

認知症の影響でコミュニケーションが難しい利用者様には、初めから声かけはせず介助についたり、訴えを無視することは頻繁に見られました。

私は認知症の祖母が近くにいたので、対応に困りつい強い口調になってしまったり、「ちょっと待って」をよく言ってしまう気持ちは分からなくもないのですが、それでも自分の祖母があのような扱いをされているように重なって見え、悲しく虚しくなってしまうことがよくあったので、この現場で働き続けることは難しく辞めたいと思うようになりました。

自分が壊れた

自分が壊れた

自分が受け持っていた利用者が、ある日転んで足を骨折してしまった。

1人で何でも出来る利用者だったが、その骨折がきっかけでみるみるうちに機能低下が進んでいった。自分のせいで骨折したわけではないが、自分の受け持ちの利用者だったのと、自分はグループのサブリーダーという立場だった為、その利用者の対応全て求められた。その為、毎日毎日残業しながら介助方法を考慮し変更していく。
その頃、自分のグループの職員は妊娠を理由に2人も退職したばかりだった為、自分が請け負うしかない状況でいた。

その利用者は急激に機能低下が進み、何もできないことからのストレスにより精神面にも影響が出てきた。どの職員に対しても発狂し、バリ掻き、噛みつき、ご飯も拒否し続ける状態が何ヶ月も続いた。

その利用者の対応を毎日行っているうちに、自分がなんだかおかしくなってきていたことに気づいた。
ある日の夕方、ご飯を持って居室へ行き介助をしようとした時、思いっきり手をバリ掻かれ、流血した。

その瞬間、頭の中で何かがプツンっと切れた気がした。

もうその後からは何もする気になれず、仕事ってなんなんだろうと思うようになり、自分はサブリーダーという立場なのに利用者が良くなることを何もしてあげられなかったと責めるようになっていった。
その後、2ヶ月程はなんとか仕事を続けることができたが、そのバリ掻かれ流血した部分を自分で切りつけるようになってしまっていた。手首だったが、毎日毎日そこをカッターナイフで切りつけている時間は何も考えずに無になれた。今、思えば、その行為は自傷行為というものであり、なぜそんなことをしていたかの心境なんて思い出すこともできない。

でも、切りつけている時間は何も嫌な事を考えず痛みだけを感じることが快感であった。だから毎日毎日、部屋にこもり切りつけていたんだと思う。

もう自分は介護の仕事には属すことができないと思い、退職を申し出たが、2ヶ月は働かないといけなかった。
その利用者も自分の担当利用者であった為、2ヶ月間は介助を精一杯やった。その後、退職することができたが、1年間は仕事に就けず、親の世話になっていた。

介護福祉士を持っていながら、このような情けない状況になってしまった自分を毎日責めて過ごしていた。
もう2度と介護職に就ける日は来ないだろうと思っていたが、なぜか介護という仕事は辞められないものでまた介護施設で働いていた自分がいた。

暴力と徘徊に恐怖を感じて

暴力と徘徊に恐怖を感じて

介護度の高い特別養護老人ホームに勤めており、夜勤を主にしているのですが、20人を一人で見守りをしています。

夜間だから何もないと思われる方も多いのですがそのようなことはなく、遅出のスタッフが仕事を終えて帰ってしまう21時から朝までは様々なことに一人で立ち向かわなくてはなりません。

一番困るのは夜間徘徊です。

重度の認知症の高齢者ばかりが入居しており、身体的な問題を抱えている方も多いのですが、理解力が低下してしまい、善悪の区別さえも分からなくなったような方ばかりがいるため、時にはこのまま殺されるのではないかと危機感を抱くことすらあります。夜になると食べ物を求めて施設内を歩き回る高齢者がいるのですが、歩行状態が大変悪く、転倒の危険性があるため居室から出てくると可哀想ですが制止しなくてはなりません。

しかし、その制止に対してストレスを抱き、暴力行為が現れるのです。

杖を使用して歩行しなくてはいけないほど歩行状態が悪く、眠剤も服用されているため危険度は増します。食べ物を探してスタッフルームや他の入居者居室に入ろうとされることもあり、声をかけると激怒して追いかけて殴られることもあるのです。お菓子などを与えると、もらえると思い眠らずにずっと付いて回り、無言で要求してくる恐ろしさに毎晩のように耐えています。大変なのは暴力行為を行うのはその方だけではないことです。

夜間、20人の排泄介助と体位交換を行わなくてはならないのですが、交換中大暴れする人も少なくはありません。昼間は職員がいるため、二人がかりでおむつ交換をしなくてはならないような方もいるのですが、どれだけ声かけをしても、タイミングを見計らっても暴力行為は常にあります。

徘徊している方を見守りながらタイミングを見計らっておむつ交換をしていてもセンサーが反応して徘徊していますと知らせられる。抵抗されるため腕は傷だらけで夏季でも腕を出せないほどです。私たち職員は暴力や暴言をどれだけ受けても堪えなくてはなりません。そのことが本当に辛く辞めたいと常に思っています。夜勤が終了したとき、入居者が生きているだけ安心してしまうような現状です。

夜勤明けは常にボロボロ。暴力などに一晩堪えなくてはならないことも苦痛ですが、最も辞めたいと感じるのは夜間の状況を伝えるときかもしれません。

バイタル測定のために出勤してきたナースに夜間の状況を報告しなくてはならないのですが、暴力行為などを全て伝えてもいつものことだからとあまり関心はないのです。

ナースは夜勤には入りません

夜になると人格が変わることを伝えても体験していないので理解をすることが出来ないのです。夜勤をしているケアワーカー同士は互いの大変さを共有したり、傷の心配をするのですが、傷だらけで帰るケアワーカーに労いの言葉もなければ、暴力行為は仕方のないことだと諦めている現状にただただ恐ろしくなり、ケアワーカーは人間として扱われていないのだと思い、もう介護は続けたくないと感じてしまいます。

介護がブラックすぎたので辞めた

介護がブラックすぎたので辞めた

5年間、特養に勤め介護をしていました。
直接的には結婚で辞めましたし、基本的にはやりがいがあり楽しく働いていたのですが、それでも辞めたいと思ったことは何度かあります。

身体的な悩みと、精神的な悩みと両方あります。

身体的な悩みとしては、夜勤あり4交代制の不規則勤務だったので、体調管理が大変だったことです。
元々、規則正しい生活をし、たっぷり睡眠をとっていたので、そのどちらもが崩れたことでとても苦労しました。

まず、元々良かった寝起きがすごく悪くなり、目覚ましに気づかず遅刻してしまうこともたびたび…。
また、どれだけ寝ても疲れが取れなくなったり、すごく風邪をひきやすくなったりしました。
休みの日に、午前中に起きることはまずなくなり、だいたいお昼過ぎにだるいなぁと思いながら目覚めました。起きたら夕方でびっくりしたことも。

疲れているので自炊することもかなり減り、外食が増えました。疲れているから甘いものをたくさん食べてしまったり、夜勤の時などは夜にすごくお腹がすくので、夜中の休憩時にがっつり食べてしまったり、食生活もかなり乱れました。

動くので太ることはなかったですが、食生活の乱れのせいで余計に疲れやすくなっていたと思います。
若いから乗り切れていたものの、歳とったらこんな仕事絶対にできないなぁと思いました。
精神的に辛かったことは、対ご利用者様の場合、やはり病、障害を抱えていたり、死が近い方々ばかりなので、辛い思いをされている方が多く、若い自分はなかなかその気持ちに寄り添えず、悲しくなったり、無力感を感じたりしたことです。また、家族の方と離れて暮らしていることの辛さを訴えられることも、自分にはどうしようもできず、気持ちが暗くなることがありました。

対職員では、人間関係の難しさを痛感しました。ただでさえ女性の職場ですので、陰口や文句は多かったと思います。

また、忙しく、体力勝負の仕事ですし、精神的にも気を使う仕事なので、イライラしやすいです。
でも、チームワークが必要ですので、てきぱき仕事をこなせるこなせないや、仕事が早い遅いという差が、人間関係にかなり影響していました。

また、決してお給料がよいお仕事ではないので、お給料の差も人間関係に影響し、正社員とパートで対立することもしばしば。

イライラをぶつけ合う状況が生まれやすい仕事だと思いました。また、女性が多い職種ですが、私がいた職場はたまたま5分の1ほど男性がいたため、少ない男性をめぐって、女性同士が火花をバチバチ散らすことに。

本当に介護ブラックって感じです。

私自身は直接巻き込まれたわけではないですが、とにかく人間関係をうまく渡り歩いていくことにものすごく苦労しました。

仕事のことで悩みたいのに、人間関係の悩みが多すぎて、仕事で悩めない!といつも思っていました。
退職後、他の職種に転職し、介護職は本当に人間関係が難しい仕事だなと強く感じています。